■ はじめに
2022年、イギリスでリズ・トラス首相がわずか50日で辞任に追い込まれた出来事を覚えている方も多いでしょう。表向きは「経済政策の失敗」とされましたが、その背景には、もっと大きな構造的問題がありました。それは、「政治を動かしたのは市場だった」という事実です。
この記事では、当時の「ポンド急落」と「国債暴落」が、いかにして政権を倒す力を持ち得たのか、そしてその現象が示す現代社会の姿を、法律実務家の視点から考えてみたいと思います。
■ 政治を動かしたのは“投資家”だった
当時のトラス政権は、「減税も行い、支出も増やす」という、財政規律を無視した政策を打ち出しました。
投資家たちはこの方針を聞いて、「財政破綻のリスクがある」と判断し、ポンドと英国債を大量に売却。結果として通貨は暴落し、金利は急上昇しました。
市場の反応は瞬時で、政府の信用は一気に失墜しました。国債価格の暴落は年金基金にも影響を与え、わずか数週間で政権は崩壊。まさに“市場が政治を裁いた”瞬間でした。
このような現象は、投資の世界では「債券自警団(Bond Vigilantes)」と呼ばれています。つまり、無謀な財政政策を行う政府に対し、市場が“警告”を発するというものです。
政治学の教科書では「政治家は有権者に動かされる」と書かれていますが、現代の資本主義社会では、「もう一つの選挙民=市場」が存在するのです。
■ 「第四の統制装置」としての市場
イギリスには三権分立(立法・行政・司法)があります。
しかし、この事件を見れば、実際にはその外側にもう一つの巨大な統制装置——「国際市場」が存在していることが分かります。
市場は法に基づく制度的権力ではありませんが、政府の信用を左右する現実的な力を持ちます。
法的正当性を持たないにもかかわらず、市場は政府の“暴走”を止めることができる。
これは、形式的な憲法秩序の外にある“実質的な統治力”と言えるでしょう。
法律実務家の観点から見ると、この出来事は「形式的な制度と実質的な力の乖離」を象徴しています。
つまり、法制度上は国会が財政を決定する権限を持っていますが、実際には国債市場の動向がそれを制約している。
経済的信認(creditworthiness)は、法的権限よりも優先されうるのです。
■ 市場支配の危うさ
これを「市場が政府の暴走を止めた」と肯定的に見ることもできます。確かに、短期的には健全な防衛反応だったかもしれません。
しかし、ここにはもう一つの危険も潜んでいます。
それは、民主主義が“市場”によって上書きされるリスクです。
市場の判断は選挙や議論を経ていません。投資家たちは国の長期的幸福ではなく、利益と安全を優先します。
つまり、「市場が政府を罰する」という現象は、時に“経済的独裁”の一形態になりかねないのです。
政治の自律性と市場の規律、その間にある緊張関係こそが、現代社会の本質的な課題といえるでしょう。
■ 法の支配と信認の関係
法は社会の秩序を定めるものですが、信用はその秩序を支える“目に見えない前提”です。
司法書士の実務においても、契約・登記・相続など、すべては信頼の上に成り立っています。
国家も同じです。どれほど立派な法律があっても、市場と国民の信認を失えば、制度は機能しません。
英国のポンド危機は、その原理を国家レベルで示した出来事でした。
法的正当性の外側にある“信認の力”が、国家を律した瞬間。
この視点は、法の実務に携わる者として、常に心に留めておくべきものです。
■ 結びにかえて
リズ・トラス政権崩壊の本質は、単なる経済失敗ではありません。
それは、「国家と市場の力関係」が可視化された事件でした。
私たち法律実務家がこの出来事から学ぶべきは、制度や条文の背後にある「信用」「信頼」「信認」という、法を支える見えざる基盤の存在です。
形式だけでなく実質を見つめる視点——それこそが、法律実務における真の洞察であり、現代を生きる私たちが持つべき新しい法感覚なのかもしれません。
参考:
- ダイヤモンドオンライン『英国首相を50日辞任に追い込んだ「ポンド下落」、実は大した問題ではない理由』(2022)
- Albert Camus『シーシュポスの神話』(1942)
- Financial Times, The Guardian(2022年9〜10月報道)
- IMF Fiscal Monitor(2022)

