はじめに
「悪法も法(ほう)か?」――この短くも重い問いは、法哲学を代表する最大のテーマです。
もし、国が決めた法律が、人として明らかに間違っていたとしたら。 私たちは「それでも法律だから」と守らなければならないのでしょうか? それとも「正義に反するから無効だ」と言えるのでしょうか?
この疑問に真正面から向き合ったのが、自然法(しぜんほう)と法実証主義(ほうじっしょうしゅぎ)という2つの大きな考え方です。
この記事では、両者の違いを整理し、ナチス・ドイツの歴史的教訓や現代の「ハート対フラー論争」を通して、法律と正義の難しい関係について、やさしく解説していきます。
第一章 自然法とは ― 「正義」こそが法の基準
自然法(Natural Law)の立場は、一言で言えば「法律よりも上位に、普遍的な『正義』がある」という考え方です。
人間の理性が捉えることのできる「自然の秩序」や「道徳的な正しさ」こそが真の法であり、人間が作った法律(実定法)がこれに矛盾する場合、その法律は無効であると考えます。
- 古代ローマのキケロ: 「真の法とは、正しい理性であり、それは自然と一致する」
- 近代のロックやルソー: 人間は生まれながらにして権利を持つ(自然権)と考え、これが現代の「基本的人権」の基礎となりました。
つまり、自然法の立場からは、「悪法は、そもそも法ではない(守る必要はない)」という結論が導かれやすくなります。
第二章 法実証主義とは ― 「ルール」こそが法である
対して、法実証主義(Legal Positivism)は、「法とは、人間が定めたルールそのものである」という立場です。
この考え方では、「法であるかどうか」と「その法が良いか悪いか(道徳)」を明確に区別します(法と道徳の分離)。 たとえ内容が悪くても、正当な権限を持つ機関が、正しい手続きで作ったルールであれば、それは有効な「法」として扱います。
- ハンス・ケルゼン: 19世紀〜20世紀の法学者。「純粋法学」を提唱し、法を道徳や政治的イデオロギーから切り離し、純粋な論理体系として捉えました。
この立場からは、「悪法であっても、法は法である(改正されるまでは有効である)」という結論になります。これは、社会の法的安定性を守るためには重要な考え方です。
第三章 「悪法も法か?」― ナチス・ドイツの教訓
この抽象的な議論が、現実の悲劇として突きつけられたのが、第二次世界大戦中のナチス・ドイツでした。
当時、ナチス政権は、全権委任法などの「合法的な手続き」を経て、ユダヤ人迫害や独裁を正当化する法律を次々と制定しました。形式上はすべて「正しい手続きで作られた法律」でしたが、その内容は人間の尊厳を踏みにじるものでした。
戦後、ナチスの行為を裁く際に、大きな問題が起きます。 「彼らは当時のドイツの法律に従っただけではないか? それを罪に問えるのか?」
ここで登場したのが、ドイツの法学者グスタフ・ラートブルフです。彼は元々、法実証主義(法は法である)の立場でしたが、ナチスの暴挙を目の当たりにし、考えを改めました。
ラートブルフ公式 「実定法(作られた法)は尊重されるべきだが、正義との矛盾が耐え難いほどになった場合、その法は不正な法として効力を失う」
つまり、極端な不正義(悪法)は、法としての効力を認めないという自然法的な考え方が、戦後のドイツ裁判で採用されることになったのです。
第四章 ハート対フラー論争 ― 現代の法哲学へ
戦後、イギリスとアメリカの偉大な法学者の間で、この問題に関する有名な論争が起きました。
1. ハート(H.L.A. Hart)の立場 ― 洗練された法実証主義
イギリスのハートは、「悪法も法である」という立場を崩しませんでした。 「これを法ではないとするのは、ご都合主義だ」と考えたからです。 ただし、彼は「法として有効であること」と「道徳的にそれに従うべきか」は別問題だとしました。 「それは法である。しかし、あまりに邪悪な法なので、私は従わない」という態度はあり得ると主張したのです。
2. フラー(Lon Fuller)の立場 ― 手続き的自然法
アメリカのフラーは、「法には最低限守るべき道徳(内在的道徳)がある」と反論しました。 たとえば、「秘密の法律」「守ることが不可能な法律」「今日作って昨日に適用する法律(遡及処罰)」などは、そもそも法としての体を成していないと主張しました。 彼は、法というシステム自体が、一定の道徳性を含んでいると考えたのです。
第五章 現代社会における意味
「悪法も法か」という問いは、過去の話ではありません。
現代においても、 「会社の規則だから正しいのか?」 「国の決定だから従うべきなのか?」 という葛藤は、様々な場面で起こります。
- 法実証主義の役割: 感情や宗教に左右されず、明確なルールで社会の秩序(法的安定性)を保つ。
- 自然法の役割: 「そのルールは本当に人間として正しいのか?」と、法の正当性を常に問い直す(正義の追求)。
現代の法システムは、この二つのバランスの上に成り立っています。
結び ― 法を学ぶことは「正義」を問い続けること
法律の条文を覚えることだけが、法を学ぶことではありません。 条文の背後にある「なぜその法があるのか」「正義とは何か」を考え続けることこそが、法学の本質です。
自然法と法実証主義の対立を知ることは、私たちが「単なるルールの遵守者」で終わらず、「より良い社会の担い手」になるための大切な視点を与えてくれます。
📚 参考文献・情報源
- H.L.A. Hart, The Concept of Law(1961)
- Lon L. Fuller, The Morality of Law(1964)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy: Legal Positivism / Natural Law
- ブリタニカ国際大百科事典「自然法」「法実証主義」
- 国連「世界人権宣言 (1948)」



