遺言書を書けないのはなぜ?──気持ちが整わない人への寄り添いと考え方──

司法書士として長く相続や生前対策のお手伝いをしていると、「遺言書を書きたい気持ちはあるんだけれど……」という声を、とてもたくさん耳にします。

遺言書の話になると、皆さん少し姿勢が固くなったり、話題をそっと変えたり、「また今度にします」と笑って帰られたりする。

それは、“準備ができていないから”ではなく、心のどこかに、言葉にしにくいためらいが隠れているからだと感じています。

目次

■ 「書くべきなのはわかっている。でも……」

たとえば、こんな本音があります。

  • 遺言を書くのは「終わり」を認めるようで怖い
  • 子どもたちの関係を乱したくない
  • 財産を“選ぶ”ことが心苦しい
  • 自分の気持ちがまだ定まらない
  • 書き始めた瞬間に、何か大切なものが終わってしまう気がする

表面では「忙しくて時間がなくて」と説明されても、その奥には、「まだ胸のなかが整理できていない」という、静かだけれど確かな気持ちがあることが多いのです。

人が遺言書に向き合うとき、まず必要なのは“知識”より“心の準備”です。
これは、法律の世界ではあまり語られませんが、現場にいると強く実感します。

■ 遺言とは、「家族への手紙」に近い

遺言書は法的な文書ですが、実際に書く方の多くが口にされるのは、法律ではなく家族の話です。

「次男が昔から気を遣う性格でね」
「娘は本当は苦労してきたんです」
「この家に私たち家族の全部が詰まっていて……」

遺言は、「財産の分け方」ではなく、生きてきた時間の整理なのだと思います。

だからこそ、気持ちの準備が整うまで、自然と時間がかかる。

それはやる気がないのではなく、大切に生きてきた証そのものです。
無理に急かすものではありません。

■ 一歩目は、“書かない選択肢を知ること”かもしれません

「遺言書を書きましょう」と言われると、どうしても決断を迫られるように感じます。

でも、実務的には、

  • 遺言書がなくても解決できるケース
  • 遺言よりも生前贈与や家族信託が向くケース
  • まだ書かず、気持ちが整うまで待ったほうがいいケース

もたくさんあります。

つまり、“書かない”も立派な選択肢なのです。

選択肢を知ると、「遺言を書かなきゃいけない」という緊張がふっとやわらぎ、気持ちの余裕が生まれる方が多いように感じます。

■ 気持ちが動き出す瞬間

長く相談を続けていると、ある日ふいに「そろそろ書いてみようかな」と言われることがあります。

きっかけは人によって違います。

  • 家族の言葉
  • 健康の変化
  • 子どもたちが独立したタイミング
  • 誰かの相続で揉めているのを見て
  • 心の整理が自然と進んだ

いずれにしても、その瞬間はご本人の準備が整っただけのこと。

誰かの“促し”ではなく、自分のペースで進めたからこそ、良い遺言書につながるのだと思います。

■ 遺言は「決断」ではなく、「安心の一部」

遺言書を書けない時期には意味があります。
書き始めるタイミングにも、その人らしい理由があります。

遺言は、気持ちが整ったときに、自分のペースで書けば十分です。

あなたの人生の輪郭に、少しだけ安心を描き足すためのもの。
決断や義務ではありません。

■ 最後に

もし、今はまだ書く気持ちになれなくても大丈夫です。
その“まだ”という感覚は、とても自然なものだからです。

ただ、気になることや、心のどこかに引っかかることがあれば、誰かと話してみるだけで少し軽くなることもあります。

必要であれば、気持ちの整理から一緒にお手伝いできます。
どうぞ、無理のない範囲で声をかけてください。

あなたのペースを大切にしながら、落ち着いて一緒に考えていけたらと思います。

シアエスト司法書士・行政書士事務所(兵庫県西宮市)では、遺言書、生前対策、成年後見などのご相談を、ご本人の気持ちの整理から一緒に進める形でお受けしています。

「今はまだ書く気持ちになれない」という段階でも大丈夫です。
どうぞ無理のない範囲でご連絡ください。

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