相続の相談を受けていると、「うちは無宗教だから、特に決まりごとはないんです」という言葉をよく耳にします。 しかし、詳しくお話を伺っていくと、お正月には初詣に行き、お盆にはお墓参りを欠かさない――そんな、日本人特有の「感謝や敬いの文化」を大切にされている方がほとんどです。
実は、この「信心はあるけれど、特定の決まり(教義)はない」という日本独自の「無宗教」の感覚こそが、相続の現場では思わぬ落とし穴になることがあります。 明確なルールがないからこそ、いざ相続が発生した際に「お墓は誰が継ぐべきか」「法要はどう行うか」という判断基準が曖昧になり、ご家族の間で意見が食い違ってしまうのです。
「形式にはこだわらない」という優しさが、かえって残された家族を迷わせてしまわないように。 この記事では、私たちが大切にしている「祈りの心」を、法律の枠組みを使ってどのように守り、トラブルなく次世代へ託していくべきか、その具体的な方法について解説します。
第1章 日本人の「無宗教」は「無関心」ではない
日本人がよく口にする「無宗教」という言葉。これは、神仏や先祖に対して「無関心である」という意味とは少し違います。
欧米における宗教が、神様との「契約」や、明確な「教義(ルール)への同意」を意味するのに対し、日本の宗教観はもっと「生活習慣」に近いものだからです。 「この教えを信じているから」という理屈ではなく、「お正月だから」「お彼岸だから」「なんとなく落ち着くから」という感覚で、私たちは自然と手を合わせています。
「祈りの場」は、心の支えになる
人は誰しも、老いや病、そして大切な人との別れといった、自分の力ではどうにもならない出来事に直面します。 法律や理屈だけでは割り切れない、心の中にぽっかりと空いた穴。その空白を埋めるために、私たちは無意識のうちに「祈りの場」を求めています。
亡くなった方に手を合わせ、線香をあげる。お墓の前で近況を報告する。 こうした行為は、特定の宗教を信じているかどうかに関わらず、残された私たちが心を整え、悲しみを乗り越えていくための大切な時間(グリーフケア)として機能してきました。 「祈る」という行為は、決して弱いからするのではなく、私たちが前を向いて生きていくために必要な「心の知恵」なのです。
「信仰心がない」=「粗末にしていい」ではない
相続のご相談を受ける中で、「うちは信仰心がないので」とおっしゃる方でも、「だからお墓も仏壇も捨ててしまっていい」と考えている方はほとんどいらっしゃいません。
むしろ、「熱心な信徒ではないけれど、ご先祖様には失礼のないようにしたい」「きちんとした形で供養は続けたい」という、静かですが強い想いをお持ちの方が大半です。
つまり、日本人の多くは「無宗教(特定の教団には属さない)」であっても、決して「無信仰(敬う心がない)」ではないのです。 しかし、この「言葉にしにくい敬意」だけで支えられている現状が、現代の家族制度の中では少しずつ難しくなってきています。
第2章 「心」はあっても「形」がない現代の危うさ
かつての日本では、お墓や仏壇、そして祭祀(さいし・ご先祖様をおまつりすること)は、「長男が継ぐもの」という暗黙のルールがありました。 法的な義務はなくとも、家督相続(かとくそうぞく)という文化の中で、誰が引き受けるかは言わずとも決まっていたのです。
しかし、現在は違います。兄弟姉妹は平等に遺産を相続しますし、生活スタイルも多様化しました。「長男だから実家に残る」とは限らず、遠方に住んでいたり、マンション暮らしで大きな仏壇を置けなかったりと、昔のルールが通用しないケースが当たり前になっています。
「言わなくてもわかる」は、もう通じない
ここに、親世代と子世代の大きな「すれ違い」が生まれています。
親世代の方は、「自分が親の背中を見て自然に覚えたように、子供たちもやってくれるだろう」「きょうだいで話し合って、うまくやってくれるはずだ」と考えがちです。 一方で、子世代の本音は少し違います。「やり方がまったくわからない」「お寺との付き合い方がわからず怖い」「維持費やお布施が経済的な負担になるのではないか」といった不安を抱えているのです。
親が込めている「信頼」が、準備のない子供たちにとっては「重荷」や「戸惑い」になってしまうことがあります。
「形式にこだわらない」が招くトラブル
特に注意が必要なのが、「うちは無宗教だから、形式にはこだわらなくていいよ」という言葉です。 親御さんとしては、「子供たちに負担をかけたくない」「自由にやってほしい」という優しさから出る言葉でしょう。
しかし、この言葉は裏を返せば、「誰がやるのか、何も決まっていない」という空白の状態を生み出します。 「形式がない」ということは、基準がないということです。いざ相続となった時、「誰が喪主を務めるのか」「誰がお墓の名義人(管理者)になるのか」「法要の費用は誰が出すのか」が決まっていないため、誰も手を出せずに立ち尽くしてしまうか、あるいは「長男がやるべきだ」「いや、実家に近いお前がやるべきだ」といった押し付け合いに発展してしまうリスクがあるのです。
「心」はあるのに、それを受け止めるための「形(ルール)」がない。これが、現代の相続における一番の危うさと言えるでしょう。
第3章 法律とお金では割り切れない「祭祀承継(さいししょうけい)」
相続の手続きというと、預貯金や不動産をどう分けるか、という「お金の話」ばかりに目が行きがちです。 しかし、実務の現場で意外なほど揉める原因となるのが、お金としては計算できない「祭祀財産(さいしざいさん)」の存在です。
相続には「2種類の財産」がある
法律の世界では、人が亡くなった時に引き継ぐものを大きく2つに分けて考えます。
- 相続財産(そうぞくざいさん) 預貯金、現金、土地、建物、株式など。 これらは経済的な価値があり、相続人全員で話し合って分けることができます(遺産分割)。
- 祭祀財産(さいしざいさん) お墓、仏壇、仏具、位牌、家系図など。 これらは「ご先祖様をおまつりするためのもの」であり、お金としての価値換算には馴染みません。
非常に重要なポイントは、「祭祀財産は、遺産分割協議(財産分けの話し合い)の対象外である」ということです。
お墓や仏壇は、土地やお金のように「兄弟で3等分する」ということが物理的にできません。そのため法律では、原則として「祭祀承継者(さいししょうけいしゃ)」と呼ばれるたった一人の人が、すべてを受け継ぐことになっています。
曖昧さが招く「お金の争い」
問題は、この「祭祀承継者を誰にするか」が決まっていない場合に起こります。 お墓や仏壇の引き継ぎ手が決まらないと、本来の「お金の分け方」の話までストップしてしまうことがあるのです。
例えば、このような対立がよく起こります。
- 負担の押し付け合い 「お墓を継ぐと、年間管理料や法要の費用がかかるから嫌だ」「お兄ちゃんが継いでよ」「いや、実家に近いお前がやってくれ」と、誰も引き受けたがらずに揉めてしまうケース。
- 権利と条件の主張 「お墓という『負担』を引き受けるのだから、その分、預貯金を多くもらわないと割に合わない」と主張し、他の兄弟がそれに納得せず、話し合いが平行線をたどるケース。
「お墓のことなんて、後で決めればいい」と思っていると、それが火種となって、兄弟間の感情的なしこりに発展してしまいます。 法律やお金の計算だけでは割り切れない「想い」や「負担」が絡むからこそ、ここを曖昧にしないことが、円満な相続の鍵となるのです。
第4章 「遺言」は家族への最後のラブレター
では、どうすれば「誰がやるのか決まっていない」というトラブルを防げるのでしょうか。 そのための最も確実な解決策が、遺言書の中で「祭祀承継者(さいししょうけいしゃ)」をはっきりと指定しておくことです。
法律上、祭祀承継者を決める優先順位の第1位は「故人の指定」とされています。つまり、遺言書に「お墓と仏壇は長男の〇〇に託す」と一行書いてあるだけで、親族間の迷いや争いは法的に解決するのです。
法律用語だけでは、心は伝わらない
しかし、ここで一つ問題があります。 「全財産を妻に相続させる」「祭祀承継者は長男とする」といった法律用語だけで書かれた遺言書は、読み手にとても事務的で、冷たい印象を与えてしまうことです。
いきなり「お墓を継げ」と書かれた紙を渡されたら、指名されたご家族はどう感じるでしょうか。 「義務を押し付けられた」と感じるかもしれませんし、「なぜ自分が?」と不満に思うかもしれません。法的な効力はあっても、これでは家族の心の納得が得られず、結局関係がギクシャクしてしまう恐れがあります。
想いを綴る「付言事項(ふげんじこう)」の魔法
そこで私が強くおすすめしているのが、「付言事項(ふげんじこう)」の活用です。 付言事項とは、遺言書の最後に付け加える「家族への手紙」のようなものです。ここには法的な強制力はありませんが、感謝の言葉や、遺言を書いた理由などを自由に綴ることができます。
お墓や供養に関しては、例えばこのような想いを書き添えてみてはいかがでしょうか。
- 選んだ理由を伝える 「長男のあなたを指定したのは、実家から近く、一番無理なく管理ができると思ったからです。決して負担を強いるつもりではありません」
- 供養の仕方を伝える 「お寺との付き合いや、立派な法要はしなくて構いません。ただ、お盆やお正月には、みんなで集まって食事をしてくれたら、それが一番の供養です」
- 宗教観についての考えを伝える 「無宗教の形式で、海に散骨してほしい。お墓は持たなくていいから、その分のお金は孫たちのために使ってください」
こうした「なぜそうしてほしいのか」「どういう気持ちでいるのか」という言葉が添えられているだけで、遺言書は単なる「財産処分の指示書」から、「家族への最後のラブレター」へと変わります。 「お父さんはこう考えていたんだな」「お母さんの願いなら叶えてあげよう」。そう家族が納得して動けるようにすることこそが、本当の意味でのトラブル予防なのです。
第5章 生前対策は「自分の死」のためではなく「残された家族」のために
日本では、親が元気なうちに死後の話や葬儀の話をすることを、「縁起でもない」と避ける傾向がまだ根強くあります。 「死ぬ準備なんてしたくない」「家族が暗い気持ちになる」と、話題を変えてしまう方も多いのではないでしょうか。
しかし、司法書士として多くのご家族を見守ってきた経験から申し上げますと、「死」や「家の宗教観」について話し合うことは、決してタブーではありません。 むしろ、ご自身が元気で判断力があるうちに「我が家の方針」を決めておくことこそが、残される家族への最大の「思いやり」なのです。
決断の「荷下ろし」をしてあげる優しさ
人が亡くなった直後、残された家族は深い悲しみの中にいます。 その混乱の中で、「葬儀はどうするか」「お墓はどうするか」「誰に連絡するか」といった、何十もの重要な決断を短期間で迫られます。
もしこの時、故人の意思が全く見えなかったらどうなるでしょうか。 「派手にやってほしいのか、質素でいいのか」「お墓は残したいのか、じまいしてほしいのか」。正解のない問いに悩み、子供たちが精神的に追い詰められたり、意見の違いから兄弟喧嘩になってしまったりすることがあります。
「私の時はこうしてほしい」「お墓はこう考えている」という指針を遺言やエンディングノートで示しておくこと。それは、悲しみの中にいる家族から「決断の重荷」を取り除いてあげることに他なりません。
日本人にとっての「最高の終活」とは
「終活」というと、不用品を捨てたり、財産目録を作ったりすることばかりが注目されがちです。 しかし、本当の意味での「良い終活」とは、事務的な整理だけではありません。
自分がいなくなった後も、子供たちが争うことなく、お盆やお彼岸には笑顔で集まり、迷わずにお墓参りができる。 「お父さんはこう言ってたね」「お母さんの希望通りにできたね」と、家族が安心して故人を偲べる環境を作ること。
これこそが、日本人が大切にしてきた「徳」であり、人生を締めくくるにあたっての最高の「終活」ではないでしょうか。 お金をたくさん残すこと以上に、「揉めない安心」を残すこと。それが、親が子にできる最後の教育であり、贈り物なのです。
終章 「祈り」を「安心」に変えるために
私たちが大切にしてきた、特定の教義を持たないけれど、静かに手を合わせる美しい「祈りの文化」。 それは、理屈や損得を超えた、家族の絆そのものです。 この温かい文化を、現代の複雑な社会の中で絶やすことなく、次の世代へときれいにバトンタッチしていくために。ぜひ「法律の知恵」を使っていただきたいと願っています。
私たち司法書士の仕事は、単に遺言書という「書類」を作ったり、不動産の名義を変える「手続き」を代行したりするだけではありません。 その書類の奥にある、「ご家族への感謝」「これからも仲良くしてほしいという願い」「先祖を大切にしたいという想い」を汲み取り、それを一番ふさわしい形で未来へつなぐお手伝いをすること。 それこそが、専門家としての本来の役割だと考えています。
「うちは無宗教だけど、お墓のことはちゃんとしておきたい」 「子供たちに負担をかけないで、自分の想いを残すにはどうしたらいいの?」
もし、そんなふうに迷われたら、一人で抱え込まずに、ぜひ一度私たちにご相談ください。 法律の知識と、地域のかかりつけ医のような目線で、あなたとご家族にとって「一番幸せな形」を一緒に考えさせていただきます。
お墓のこと、遺言のこと、そしてこれからのこと。 あなたの「大切にしてきた想い」を形にする第一歩を、ここから踏み出してみませんか。

本記事に関連して、参考となる書籍をいくつかご紹介します。
ご興味のある方は、ぜひ併せてご覧ください。

