「法律」というと、多くの人が「国が決めたルール」というイメージを持つのではないでしょうか。 たとえば、交通ルール、税金の仕組み、刑法の罰則などです。
けれども、少し立ち止まって考えると、こんな疑問が浮かびます。
- 国が決めた法律が、いつも「正しい」と言えるのだろうか?
- 昔からの慣習や人間の道徳も、法律と同じように守るべきものではないのか?
- 世界中で共通する「正しさ」って、本当にあるの?
こうした疑問に向き合うのが、法哲学という分野です。 その中でも特に基本となるのが、自然法(しぜんほう)・実定法(じっていほう)・慣習法(かんしゅうほう)という3つの考え方です。
この3つを理解すると、「なぜ法律を守るのか」「何が正しい法なのか」という根本的な問いが見えてきます。 この記事では、それぞれの意味・特徴・歴史・そして現代社会での意義を、やさしく丁寧に解説していきます。
第一章 自然法 ― 人間の理性と正義に基づく法
1. 自然法とは何か
自然法(Natural Law)とは、「人間の理性」や「自然の秩序」によって導かれる普遍的な正義の原理のことです。
簡単に言えば、 “人間なら誰でも、生まれながらにして知っている正しいこと” それが自然法の考え方です。
たとえば、「人を殺してはいけない」「嘘をつくべきではない」「約束を守るべきだ」といった道徳的な原則は、国や時代が違っても多くの人が共通して理解しています。 こうした「人間として当然守るべきこと」を法律の根本に置くのが、自然法の思想です。
2. 自然法の特徴
自然法の最大の特徴は、人間が作る前から存在している法だと考えられている点です。 つまり、国が制定する法律(実定法)よりも上位にあり、「その法律が正しいかどうか」を判断する基準になります。
- 普遍性: どの国・時代・宗教でも共通する法則である。
- 不変性: 人間の都合で変えることはできない。
- 合理性: 人間の理性(理屈)によって理解できる。
自然法は、単なる感情的な道徳ではなく、「理性的に考えて正しいと判断できる法」という点が重要です。
3. 自然法の歴史的発展
(1) 古代ギリシャ 自然法の起源は、古代ギリシャにさかのぼります。 哲学者アリストテレスなどは、「自然(ピュシス)」と「人為(ノモス)」を区別しました。「人間は理性的な存在であり、理性に従って生きることこそが自然である」とし、自然に基づく正義の考え方を示しました。
(2) 古代ローマ ローマ法の時代には、法学者たちが「自然法(jus naturale)」という言葉を明確に使い始めます。 哲学者のキケロは、「真の法は正しい理性であり、それは自然と一致している」と説きました。彼にとって、自然法とは「善を命じ、悪を禁じる理性の声」でした。
(3) 中世ヨーロッパ キリスト教神学者トマス・アクィナスは、自然法を「神の永遠の法の一部」として位置づけました。 「善を行い、悪を避けよ」という基本原理に基づき、人間は理性を通じて神の意志(自然法)を理解できるとしました。
(4) 近代 近代に入ると、宗教から離れ、人間の理性そのものを重視する自然法論が現れます。 イギリスのジョン・ロックは、「人は生まれながらにして生命・自由・財産を持つ」という自然権を主張しました。これらは、アメリカ独立宣言(1776年)やフランス人権宣言(1789年)に強く影響を与え、現代の人権思想の基礎となりました。
4. 現代における自然法の意義
20世紀、ナチス・ドイツなどの独裁政権下では、「議会で正式に制定された法律」によって、人間の尊厳を踏みにじる行為が正当化されてしまいました。 この苦い経験から、「法律という形をしていても、正義(自然法)に反するものは無効である」という考え方が再び強く意識されるようになりました。
その結果、現代の国際社会では「人間の尊厳」を基本とする法体系が作られ、世界人権宣言などが誕生しています。自然法は今も、「法の正当性を測る最終的なものさし」として機能しているのです。
第二章 実定法 ― 社会が作る“現実の法”
1. 実定法とは何か
実定法(Positive Law)とは、国家や社会が人の手で制定した、実際に効力を持つ法律のことです。
「ポジティブ(Positive)」とは、ここでは「前向き」という意味ではなく、ラテン語で「置かれた・定立された(Positus)」という意味です。自然法のように“理性で見出す法”ではなく、“人間が明確な手続で作った法”を指します。
- 日本国憲法
- 民法・刑法・商法
- 地方自治体の条例
私たちが普段「法律」と呼んでいるもののほとんどは、この実定法です。
2. 実定法の特徴
- 制定性: 立法機関(国会など)が正式な手続で作る。
- 拘束力: 守らない場合には、警察による逮捕や損害賠償などの強制力(サンクション)が伴う。
- 可変性: 社会の変化に応じて、改正や廃止ができる。
実定法の最大の強みは、「ルールが文字で書かれており、明確であること(法的安定性)」です。しかし同時に、「内容が正義と一致しているとは限らない」という弱点もあります。
3. 自然法との関係
自然法は「正義の理想」を示し、実定法は「現実のルール」を定めます。 この二つは、時にぶつかり合います。
「悪法もまた法なり」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。 法実証主義(Legal Positivism)という立場では、「内容がどうあれ、正しい手続きで制定されたなら、それは守るべき法である」と考えます。 一方、自然法論者は、「正義に著しく反する実定法は、そもそも法として無効である」と主張します。
この議論は、「法とは何か」を考える上で、今なお最も重要なテーマの一つです。
第三章 慣習法 ― 社会から生まれた“生きた法”
1. 慣習法とは
慣習法(Customary Law)とは、人々が長い年月をかけて守ってきた習慣や慣行が、社会全体に「これを守らなければならない」という法的確信(法的なルールだという認識)を得て、法としての効力を持つようになったものです。
六法全書のような条文としては書かれていなくても、「昔からそうしてきたし、それがルールだ」と社会が認めたものが慣習法になります。
2. 慣習法の特徴
- 非成文性: 文章ではなく、人々の行動や慣習の形で存在する(不文法)。
- 継続性: 長期間にわたり、反復して行われている。
- 法的確信: 人々が「これは単なるマナーではなく、守るべき法だ」と認識している。
3. 日本の法律における慣習法
日本では、成文法(書かれた法律)が原則ですが、慣習法も重要な役割を果たしています。
商法第1条では、商取引におけるルールの優先順位を次のように定めています。
商法 第1条 商事に関し、本法に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法(明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。
つまり、ビジネスの現場では、「民法の規定」よりも「商慣習(慣習法)」の方が優先されるのです。これは、取引のスピードや実態を重視するためです。
4. 慣習法と自然法の関係
慣習法は「社会の歴史や文化から自然発生的に生まれた法」です。 19世紀の法学者サヴィニーは、「法は民族の精神から生まれる」として、慣習法を重視しました。 ただし、慣習なら何でも良いわけではありません。「悪い慣習(人権侵害など)」は、公の秩序(公序良俗)や自然法に反するものとして、法の効力が否定されることがあります。
第四章 現代社会における三つの法の意義
現代の法体系は、これら3つの法が互いに関係しながら成り立っています。
- 自然法: 法の「正義」や「あるべき姿」を示すコンパス。
- 実定法: 社会の秩序を守るための、明確で具体的なルール。
- 慣習法: 地域や業界の実情に合わせた、柔軟な生活の知恵。
たとえば、憲法が保障する「基本的人権」は自然法の考えに基づいています。その人権を守るために、国会が実定法を整備します。そして、実際の取引や生活の場では、古くからの慣習法が潤滑油として機能しています。
おわりに ― 法とは「正義と社会のバランス」
法を学ぶことは、単に六法全書の条文を暗記することではありません。 それは、人間社会の「正しさ(正義)」と「現実(秩序)」のバランスをどう取るかを考えることです。
自然法は理想を、実定法は現実を、慣習法は歴史と知恵を表しています。 この三つの視点を持つことで、私たちはニュースで見る新しい法律や判決に対しても、「この法律は本当に正しいのか?」「社会の実情に合っているのか?」と、より深く考えられるようになります。
参考文献・情報源
- 田中成明『法理学講義』有斐閣
- 中山竜一『二十世紀の法思想』岩波書店
- Stanford Encyclopedia of Philosophy: Natural Law Theories
- e-Gov法令検索:商法第1条、民法第92条


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