
「頭が良い」と聞くと、どんな人を思い浮かべますか? 計算が早い、記憶力が良い、いわゆる「IQ(知能指数)が高い人」をイメージすることが多いかもしれません。
しかし、人間にはもっと多様な「賢さ」があるはずです。 そんな考え方を提唱したのが、ハーバード大学のハワード・ガードナー博士による「多重知能理論(MI理論)」です。
これは、「人間には8つの異なる知能がある」とする考え方で、海外の教育現場などでは広く知られています。一方、日本ではまだあまり詳しく知られていないのが現状です 。
今回は、このMI理論の基本を分かりやすく解説しながら、実は日本が目指す「グローバル人材」の育成とも深い関わりがあるという、意外な共通点についてお話しします 。
1. そもそもMI理論とは? 「第9の知能」の存在
1983年、ハーバード大学のハワード・ガードナー教授は、「人間の知能はIQのような単一のものではなく、互いに独立した複数の知能から成り立っている」という画期的な説を提唱しました。
当初は7つの知能が定義され、後に「博物的知能」が加わって現在は8つの知能が基本とされています。それぞれの特徴を分かりやすく表にまとめました。
ガードナーの8つの知能
| 知能の種類 | 特徴・得意なこと | 具体的な職業例 |
| ① 言語的知能 | 言葉への感受性が高く、読み書きや話す力が優れている。 | 作家、弁護士、演説家 |
| ② 論理数学的知能 | 論理的な分析や計算、科学的な探究が得意。 | 数学者、科学者、論理学者 |
| ③ 音楽的知能 | リズムや音程を聞き分けたり、演奏・作曲する能力。 | 音楽家、作曲家 |
| ④ 身体運動的知能 | 体全体や手先を使って表現したり、ものを作ったりする能力。 | ダンサー、スポーツ選手、外科医 |
| ⑤ 空間的知能 | 空間や図形を正確に認識し、頭の中で操作する能力。 | 建築家、パイロット、芸術家 |
| ⑥ 対人的知能 | 他人の気持ちや意図を理解し、良好な人間関係を築く力。 | 教師、カウンセラー、営業職 |
| ⑦ 内省的知能 | 自分自身の感情や特性を深く理解し、自律的に行動する力。 | 哲学者、研究者、作家 |
| ⑧ 博物的知能 | 自然界の動植物や、人工物の種類を見分け分類する能力。 | 生物学者、植物学者 |
「第9の知能」はあるの?
さらに興味深いことに、ガードナーは後に「実存的知能(人生の意味や死について問う能力)」や「霊的知能」も追加の候補として挙げています。
知能の定義は固定されたものではなく、人間が持つ可能性の広がりを示唆しているのです。
2. なぜ「科学的根拠がない」と批判されるのか?
教育現場で人気の高いMI理論ですが、実は心理学の専門家からは厳しい目で見られている側面もあります。
主な理由は、「実証データの不足」です。 IQテストのように膨大なデータで証明されているわけではなく、「科学的な根拠が乏しい」という指摘があります。 また、ガードナーが定義した「知能」は恣意的なもので、「それは『知能』ではなく、単なる『才能』や『適性』の言い換えではないか?」という批判も根強くあります。
それでも、なぜこれほど教育現場で支持され続けているのでしょうか?
それは、「生徒一人ひとりの多様な個性を認めよう」という理念が、現場の先生たちの実感と強くマッチしているからです。テストの点数という一つの物差しだけでなく、その子の「強み」を見つけようとする姿勢が、画一的な評価からの脱却を目指す現代の教育ニーズに合致していると言えるでしょう。
3. 日本の「グローバル人材」とMI理論の意外な共通点
「日本ではMI理論はあまり普及していない」と言われています。
しかし、実は日本が国を挙げて育成しようとしている「グローバル人材」の要件と、MI理論には驚くほどの共通点があります。
大西好宣氏の研究によると、政府(文部科学省や経済産業省)が定義するグローバル人材に必要なスキルは、MI理論の各知能と以下のようにきれいに対応します。
| MI理論の知能 | グローバル人材のキーワード(政府定義) |
| 言語的知能 | 語学力・コミュニケーション能力 |
| 対人的知能 | チームワーク、協調性、リーダーシップ、異文化理解 |
| 内省的知能 | 日本人としてのアイデンティティ、主体性、チャレンジ精神 |
| 論理数学的知能 | 自分の考えを分かりやすく伝える力(論理的思考) |
つまり、MI理論を教育に取り入れることは、そのまま「世界で活躍できるグローバル人材の育成」に直結する可能性があるのです。
4. まるで現代の「リベラルアーツ(教養)」
実は、MI理論の考え方は、決して新しいものではありません。 古代ギリシャの時代から重視されていた「リベラルアーツ(人が自由に生きるための教養)」と、驚くほど似ています。
昔の人たちは、言葉や論理だけでなく、「音楽」や「天文学(空間・数学的センス)」なども、人間が自由に生きるために不可欠な能力だと考えていました 。 これは、ガードナーが最初に提唱した「7つの知能」と、数も中身もほとんど同じです 。
つまり、MI理論は「現代版のリベラルアーツ」とも言えます。 テストの点数だけでなく、音楽的センスや人との関わり方など、人間としての「総合力」を磨くこと。それこそが、正解のない現代社会を生き抜くための、本当の「教養」なのかもしれません。
5. まとめ:自分の「得意の組み合わせ」を知ろう
MI理論で一番大切なのは、「頭が良いか悪いか」を競うことではありません。 「自分には、どんな知能(得意)の組み合わせがあるのか?」を知ることです。
人には必ず、その人なりの「強み」があります。 自分や子どもの個性を、MI理論という新しいメガネを通して見つめ直してみてください。 きっと、進路選びや、自分に合った学び方を見つけるための、大きなヒントが見つかるはずです。
ハーバード大学のハワード・ガードナー教授が提唱した「多重知能理論(MI理論)」。 「人間の知能はIQ(知能指数)だけではない」とするこの理論ですが、すべての知能において突出した才能を持つ「万能人」など、現実に存在するのでしょうか?
実は、大西好宣氏の研究論文『グローバル時代における多重知能理論の再考: 研究推進のための予備的考察と提言』(人文公共学研究論集 第38号)の中で、その「奇跡的な実例」として名前が挙げられている人物がいます 。
それが、加山雄三さんです。
俳優やミュージシャンとしての活躍はあまりに有名ですが、MI理論の「8つの知能」というレンズを通して彼を見ると、その凄みが改めて浮き彫りになります。
1. 言語的知能(言葉を操る力)
加山さんは英語が堪能で、ビートルズが来日した際、ホテルを訪れて話し相手になった唯一の日本人芸能人と言われています 。また、作詞家としても活動しており、「ブーメランベイビー」のように全編英語で作詞された楽曲もあります 。言葉による表現力と言語習得能力の高さは疑いようがありません。
2. 論理数学的・空間的知能(論理と空間認識)
意外な一面ですが、加山さんは物理学に造詣が深く、アインシュタインの相対性理論に関するメモを記したノートを常に持ち歩いているそうです 。 さらに、「空間的知能」の高さを示すエピソードとして、自身の船「光進丸」の設計に携わったことや、画家として多くの画集を出版し個展を開いていることが挙げられます 。船の設計図を引き、絵を描く能力は、空間を正確に認識・操作する知能の現れです。
3. 音楽的知能(リズム・音感)
これは説明不要かもしれませんが、「弾厚作(だんこうさく)」のペンネームで数々の名曲を作曲しています 。日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり 、ピアノ、ギター、ウクレレなど多種多様な楽器を演奏しこなす能力は、突出した音楽的知能を示しています 。
4. 身体運動的知能(身体能力)
映画『若大将シリーズ』で見せたスポーツ万能ぶりは有名ですが、これは演技だけではありません 。実際にスキーでは国体に出場するほどの腕前を持ち 、水上スキーを日本に広めた立役者でもあります 。身体を巧みにコントロールする高い知能を持っています。
5. 対人的・内省的知能(人との関わり・自己理解)
長年、俳優やタレントとして第一線で活躍し、対談番組などで多くのゲストと良好な関係を築く姿は「対人的知能」の高さを物語っています 。 また、過去には経営していた会社の倒産により多額の負債を抱えたり 、スキー場での大事故で生死を彷徨ったりといった壮絶な経験をされています 。そこから逃げずに謝罪し、地道な努力で復活を遂げた姿勢 は、自分自身を深く見つめ直す「内省的知能」と、困難を乗り越える精神的な強さ(レジリエンス)を感じさせます 。
6. 博物的知能(自然・人工物の識別)
近年では陶芸家としても本格的に活動し、自宅に専用の窯を持つほどです 。土や炎の性質を見極め、作品を作り出す陶芸の才能は、自然や素材の性質を理解する「博物的知能」の一端と言えるでしょう。
可能性は「ひとつ」ではない
「二物(にぶつ)を与えず」という言葉がありますが、加山雄三さんの例を見ると、人間には本来、多様な知能が眠っており、それらを同時に開花させる可能性があるのだと教えられます。
私たちも、「自分は文系だから」「運動音痴だから」と自分で限界を決めつけず、自分の中に眠っているかもしれない「別の知能」に目を向けてみると、新しい人生の楽しみが見つかるかもしれません。


