
相続のご相談をお受けしていると、財産の話の途中で、ふと手が止まる方がいらっしゃいます。
「父とは、最後まで分かり合えませんでした」
「母には、どうしても言えなかったことがあるんです」
相続の手続きは、書類をそろえて、期限までに進めていけば終わります。けれども、心の中に残ったわだかまりは、手続きが終わっても消えてくれません。
今回は、法律の話から少しだけ離れて、「許す」ということについて考えてみたいと思います。
許せないまま見送った、という後悔
たとえば、こんな方を思い浮かべてみてください。
若いころ、厳しすぎる父親に反発して家を出た長男。何十年も、ほとんど口をきかないまま過ごしてきました。父親が入院したと聞いても、「今さら何を話せばいいのか」と病院に足が向かず、そのまま父親は亡くなりました。
相続の手続きのために実家を片付けていると、父親の机の引き出しから、長男が子どものころに描いた絵が出てきます。父親は、何十年もそれを捨てずに持っていたのです。
「許せない」と思っていた相手にも、自分には見えていなかった気持ちがあったのかもしれない。そう気づいたときには、もう本人に確かめることはできません。
相続は、亡くなった方との関係を、いやおうなく見つめ直す時間でもあります。
許すことは、相手のためではなく自分のため
「許す」というと、相手に負けること、相手のしたことを水に流すことのように感じるかもしれません。
けれども、許すことの一番の受け取り手は、実は自分自身です。
許しと心身の健康の関係は、海外でも研究されています。たとえば、アメリカの研究グループ(Toussaintら)は、人を許す傾向が強い人ほど、ストレスを受けたときの心の不調が小さかったという結果を報告しています。対象は若い成人148人で、研究者自身も「さらに研究が必要」としていますが、許すことが心の負担を軽くする方向に働くことをうかがわせる結果です。
相手を変えることは、できません。亡くなった方であれば、なおさらです。けれども、その出来事を自分の心の中でどう持ち続けるかは、自分で選ぶことができます。
許すことは「なかったことにする」ことではない
誤解のないようにお伝えしたいのは、許すことは、相手のしたことを正しかったと認めることではない、という点です。
暴力や、深く傷つけられた経験は、なかったことにはなりません。無理に許そうとして、かえって自分を責めてしまう方もいます。
許すとは、「あの出来事に、これ以上自分の人生を縛らせない」と決めることなのだと、私は考えています。今日すぐに許せなくても構いません。「いつか許せたらいい」と思えるだけでも、心は少し軽くなります。
許せないときに、法律でできること
一方で、どうしても許せない相手に、自分の財産を渡したくないというご相談もあります。その気持ちを否定する必要はありません。法律でできることを、正しく知っておくことが大切です。
遺言で、財産を渡す相手を決める
遺言を書けば、誰にどの財産を渡すかを自分で決められます。遺言がなければ、法律で決まった割合(法定相続分)で分けることになり、許せない相手にも財産が渡ります。
ただし、子や配偶者には「遺留分」がある
子や配偶者、親には、法律で最低限の取り分(遺留分)が認められています(民法1042条)。遺言で「財産をすべて長女に」と書いても、ほかの子が請求すれば、遺留分に当たるお金を支払う必要があります。
兄弟姉妹には遺留分がない
相続人が兄弟姉妹の場合、兄弟姉妹には遺留分がありません。遺言で別の人に財産を渡すと決めておけば、そのとおりになります。
「相続人から外す」制度は、ハードルが高い
虐待や重大な侮辱、著しい非行があった場合には、家庭裁判所に請求して、その人を相続人から外す「廃除」という制度があります(民法892条)。遺言で廃除の意思を残し、亡くなった後に遺言執行者が請求することもできます(民法893条)。
ただし、家庭裁判所は「仲が悪い」「疎遠だった」というだけでは認めず、慎重に判断します。また、廃除された人に子がいれば、その子が代わりに相続します(民法887条2項)。
許せたときに、想いを形にする方法
時間がたって、少しずつ気持ちが変わってくることもあります。そのときは、想いを形にしておくと、残された家族の心にも届きます。
付言事項で、気持ちを伝える
遺言には、財産の分け方とは別に、家族へのメッセージを書ける「付言事項」という部分があります。法的な効力はありませんが、「あのときはすまなかった」「今は感謝している」という一言が、残された家族の心のわだかまりを解くことがあります。付言事項の書き方と文例は、付言事項とは?遺言で家族へ想いを伝える書き方と文例でくわしくご紹介しています。
廃除は、取り消せる
一度、家庭裁判所で廃除が認められた後でも、気持ちが変わったときは、廃除の取消しを家庭裁判所に請求できます(民法894条)。遺言で取り消すこともできます。
手紙を書いてみる
出すかどうかは、決めなくて構いません。相手に伝えたいことを、一度紙に書き出してみるだけでも、自分の気持ちが整理されていきます。亡くなった方に宛てて書く方もいらっしゃいます。
よくあるご質問
- 許せない親から相続した財産を、受け取らないことはできますか?
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できます。家庭裁判所で相続放棄の手続きをすれば、最初から相続人でなかったことになります。原則として、自分が相続人になったことを知った時から3か月以内に手続きが必要です(民法915条)。
- 遺言で「長男には一切相続させない」と書けば、長男は何も受け取れませんか?
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長男には遺留分がありますので、長男が請求すれば、遺留分に当たるお金を受け取ることができます。何も渡さないためには、家庭裁判所での廃除が必要ですが、認められるのは虐待などの重大な事情がある場合に限られます。
- 付言事項に、許せない相手への不満を書いてもいいですか?
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書くこと自体はできますが、おすすめしていません。最後の言葉として重く残り、家族の関係を深く傷つけてしまうことがあるからです。
おわりに
相続は、財産を引き継ぐ手続きであると同時に、亡くなった方との関係に区切りをつける時間でもあります。
許せない気持ちを抱えたままでも、手続きは進められます。けれども、もし心のどこかで「このままでいいのだろうか」と感じていらっしゃるなら、その気持ちを大切にしてください。
当事務所では、遺言や相続の手続きだけでなく、その奥にあるお気持ちにも耳を傾けながら、お手伝いをしています。どうぞお気軽にご相談ください。
出典・参考
- 民法887条2項(代襲相続)、892条(推定相続人の廃除)、893条(遺言による廃除)、894条(廃除の取消し)、915条(相続の承認・放棄の期間)、1042条(遺留分)(e-Gov法令検索)
- Toussaint, L., Shields, G. S., Dorn, G., & Slavich, G. M. (2016). Effects of lifetime stress exposure on mental and physical health in young adulthood. Journal of Health Psychology, 21(6).

